1989年7歳の記憶とAtari 2600(と思っていたもの)
だいぶ更新がおろそかになってしまいました。今回は僕が7歳のとき、1989年のお話をしたいと思います。
前回少しゲーム&ウォッチシリーズのマリオブラザーズについて書きましたが、それに関する思い出を少し書きます。
その当時ギリシャでも'子供の遊びの一つとしてテレビゲームもあり'という考えは広がっていました。親達はゲームをこぞってプレゼントとして買い始め、'あの子があのゲームを持っている'などというのは子供たちの間でいつも話されていました。
ある日僕が子供部屋で友人と二人でゲーム&ウォッチのマリオブラザーズで遊んでいるとき、父が大きな荷物を抱えてノックして入ってきました。何を持っていたと思いますか。Atari 2600だったのです。僕はマリオブラザーズをすぐ放ったらかしてAtariの方に夢中になったのですが友人はひどいヤキモチを焼いて「ゲーム&ウォッチで一緒に遊ぼうよ、こっちのほうがいい!」とふくれっ面をしてそっぽを向いてしまいました。その彼のヤキモチの表情は今でもよく覚えています。
あれから28年経ったのですがその父がくれたプレゼントを今でも大事にとってあります。僕の宝物です。
でも大人になって気づいたのですがこれは実はAtari 2600じゃなくてclone consoleという日本語でいうコピーゲーム機でした。ただこれのすごいところはAtariの全てのゲームが搭載されていたところです。
娘と動くのかを確認したところ、まだしっかり動くようでした。
一緒に確認中。
右が7歳の時の僕ですが、当時は金髪で今の白髪とは違いますね。左はヤキモチをやいた友人ではなくて僕のいとこのハリス君なのですが、表情はまさにその時の友人と同じものです。
読んでくれてありがとうございます!
80年代後半 somewhere late 80's
幼少の頃、父の出張のお土産というのはいつも心待ちにしていたものでしたがその中でも父がPhilipsに勤めていた時期にオランダのアイントフォーヘンへ出張に行った時のお土産は今でも忘れられません。
ゲーム&ウォッチシリーズのドンキーコングとマリオブラザーズがお土産だったのですがこれは僕が人生で初めて手にしたゲームになりました。その当時ゲームボーイも発売されていたのでマリオの顔を知っていた僕は父に「このゲームの主人公、マリオを知っているよ」と言いました。
このお土産は僕のゲームコレクションの中でも一番の宝物です。
プレイステーション誕生秘話にPhilipsも少しながら出てきます。
ゲームに関する最初の記憶(1980年代) First Memory
一番最初のゲームに関する僕の記憶は1980年代半ばクリスマスシーズン、ギリシャのハルキディキ半島のアイオス・ニコラオスの別荘で過ごしていた時です。当時4歳でした。
両親と一緒に知人のDさんの別荘を訪れた日を鮮明に覚えています。ギリシャ人はお客様に靴を脱いでもらうことをあまり強要しないのでその日は靴を脱がされたことが記憶に残っています。靴を脱いでいると両親に僕が来たと告げられた子供達がテレビの下にある何かの電源を消している姿が見えました。テレビ画面には何も写っていなかったのですがムカデのカセット付きのVHSビデオデッキのようなものが見えました。これがAtari 2600だったのです。
数日後また違う知人Kさんのところに連れて行かれた時も暖炉のそばのテレビに集まってジョイスティックで遊んでいる子供達に気づきました。カートリッジは別でしたが数日前に見たものと同じもの、そうAtari 2600で遊んでいたのです。
当時はカニのゲームをプレイしているのだろう(!)と思っていたのですが後になってボクシングという名前のボクシングゲームだと知りました。
これが当時カニに見えたゲーム画像です。
これが夏のアイオス・ニコラオスのビーチです。今はホテルなどが数多く建っています。
自己紹介 Introduction
「ギリシャ人のゲーム回想録」へようこそ。
ギリシャ人(1982年生まれ)がゲームに関する80年代からの記憶を綴ります。
(※日本語訳を手伝っているのは妻です)
本名はギリシャ神話のディオニューソス(お酒の神様)と同じ名前で、友人達からはディオンと呼ばれています。任天堂のドンキーコングジュニアが日本のアーケードでプレイされるようになった1982年の夏にギリシャ北部の街テッサロニキで生まれました。趣味や好きなものはたくさんありますが’テレビゲーム’というものが自分を他の人と区別するのに一番適しているもの、自分を定義するものだと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ドゥカティ・モンスター620に乗っています。